新着情報 / 活動報告
2022.04.03
三井寺のさくら満開
4月3日
三井寺のさくら満開
すばらしいです。さくら満開。
三井寺はさくらだけでなく人も満杯。疎水のさくらもいうまでもなく美しい。ライトアップも、さぞ素晴らしいことでしょうね。
さて、日本人が桜を愛でていた記録は多く残っているようです。古くは古事記にも桜の花にたとえた女神が登場し、万葉集では、はっきりと「春を象徴する花」として桜が数多く描かれているようです。万葉集が編まれた奈良時代には、すでに桜を愛する気持ちが日本人の心に形づくられていたようです。
当初のお花見は桜よりも早い時期に開花する梅の花を愛でていたようですが、中国から桜が伝わってきたことにより、平安時代以降次第に桜を見る風習へと変わっていったとされています。
はじめて桜の花見をしたのも、平安時代の天皇である嵯峨天皇であったといわれています。言うまでもなく庶民にもそういった風習が定着していったと考えられます。
桜と同じように、中国から伝わって定着した春の花はほかにもあります。その中でなぜ、桜だけが日本中で愛されるようになったのかについては諸説あるようですが、おおむね以下のような理由ではないかと考えられています。
・見た目の愛らしさ、美しさ薄く小さな花びらや、可憐な薄いピンク色など、純粋に桜の花が持つ美しさに心惹かれた日本人が多かったのは、大きな理由の1つといえるでしょう。
・生死の象徴としての崇拝桜の木自体の寿命は長く、品種によっては100年以上を誇るものもありますが、桜の花はごく短命です。春の間でもほんの短い期間だけに咲き誇り、風と共に薄い花びらはさらさらと散っていくため、見ごろは半月もありません。美しい桜の花が一瞬咲き乱れ、はかなく散っていくようすを見た古来の人々が、桜によって死生観に思いを馳せたり「神聖なもの、神を思わせるもの」として、桜を崇拝の対象にしたりしていたと考えられます。
いずれいしても、日本人にとって、さくらは精神的な支柱になっているような気がします。
三井寺のさくら満開
すばらしいです。さくら満開。
三井寺はさくらだけでなく人も満杯。疎水のさくらもいうまでもなく美しい。ライトアップも、さぞ素晴らしいことでしょうね。
さて、日本人が桜を愛でていた記録は多く残っているようです。古くは古事記にも桜の花にたとえた女神が登場し、万葉集では、はっきりと「春を象徴する花」として桜が数多く描かれているようです。万葉集が編まれた奈良時代には、すでに桜を愛する気持ちが日本人の心に形づくられていたようです。
当初のお花見は桜よりも早い時期に開花する梅の花を愛でていたようですが、中国から桜が伝わってきたことにより、平安時代以降次第に桜を見る風習へと変わっていったとされています。
はじめて桜の花見をしたのも、平安時代の天皇である嵯峨天皇であったといわれています。言うまでもなく庶民にもそういった風習が定着していったと考えられます。
桜と同じように、中国から伝わって定着した春の花はほかにもあります。その中でなぜ、桜だけが日本中で愛されるようになったのかについては諸説あるようですが、おおむね以下のような理由ではないかと考えられています。
・見た目の愛らしさ、美しさ薄く小さな花びらや、可憐な薄いピンク色など、純粋に桜の花が持つ美しさに心惹かれた日本人が多かったのは、大きな理由の1つといえるでしょう。
・生死の象徴としての崇拝桜の木自体の寿命は長く、品種によっては100年以上を誇るものもありますが、桜の花はごく短命です。春の間でもほんの短い期間だけに咲き誇り、風と共に薄い花びらはさらさらと散っていくため、見ごろは半月もありません。美しい桜の花が一瞬咲き乱れ、はかなく散っていくようすを見た古来の人々が、桜によって死生観に思いを馳せたり「神聖なもの、神を思わせるもの」として、桜を崇拝の対象にしたりしていたと考えられます。
いずれいしても、日本人にとって、さくらは精神的な支柱になっているような気がします。
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