新着情報 / 活動報告

2019.12.25

大津通信に愕然

大津通信に愕然と

知人に、議員として是非見ておくようにと助言されたのが、大津通信。詳細は是非とも検索をしていただき、見て欲しいのですが、公文書破棄問題で大津市長が訴えられ、現在裁判抗争中の内容が詳細に書かれている。議員になって、最近になって読み始めましたが、その内容に驚いています。

でも、事件の内容や裁判の抗争内容以上に、もっと驚いていることは、事件当時、多くの職員が事件そのものの顛末やその後の対応、書類作成などについて、また、指示され動いたことについて、何も語らないんだと言うことに驚いています。

一人の職員が困っていて、追い込まれているのに、誰も真実を語らないというのは驚きです。

12月22日の大津通信より転載しました。長いですが一読を。

110)裁判報告⑨~原告証言~

<お断り>

 原告は他の証人よりずっと長い尋問時間の中で詳細、克明な証言を行ったので、寡黙
な元人事課長のように一問一答形式で再現すると嵩張ってしまいます。そこで、ここで
は証言要旨のみ取り出して掲載しますが、修正などは一切行っていません。ご自身の眼
で確かめたいと仰る方は、1月10日から大津地裁で公開される証言内容をあわせてご覧く
ださい。なお、以下の文章で「私」とあるのはもちろん原告をさします。

<原告の証言概要>

 平成25年3月22日、現職の大津市職員親子が右翼団体構成員らと勤務時間中に、
当時の私の職場にいきなりきて、右翼団体連合体幹部の名刺を差し出し、「俺は右翼の
〇〇や!」と大声で騒ぎたてました。私は、胸ぐらをつかまれ、「この場で辞表を書
け!」、「お前が辞めるというまで、毎日くる!」などと大声で恫喝され、フロアは騒
然とした状況でした。


 この前に、大津市職員親子と右翼団体構成員らは、秘書課で「市長を出せ!」などと騒いだ後、職員課(現在の人事課)に不当要求をしました。職員課から、このときの記

録はすべて録音してあるし、テープ起こしもしてあると言われていました。怪文書を含めて、私は、これまで大津市が存在しないとして一切公開に応じなかった文書を直接見ていましたし、存在することを知っていました。説明も受けていました。

 私が、不当要求を受けた際に、右翼からは「今度は自宅に行ってやる」、「今度は街宣車をまわしたる」などと脅かされ、身の危険、家族の危険を強く感じ、大津市の顧問弁護士(当時)のすすめもあって、Aからのいやがらせに歯止めをかけたい一心で、Aからの強制わいせつ罪の告訴に対して、Aを虚偽告訴罪で告訴しました。

 ところが大津市長は、検事と深く通じて、副市長を介し、何度も繰り返し私に「命令として」虚偽告訴罪を取り下げるよう指示してきました。大津市の名前が不名誉な形でプレスに出ては困る、正義より安全が優先だ、市長はそう言われていると聞きました。あまりにも一方的な圧力で、強要を受けていると感じていました。

 大津市長からは、「裁判になれば有罪率99.9%だから、有罪になる。」、検察官からは、「裁判になればあなたは仕事を失うことをわかっているのか。」と何度も脅し のように言われて、取り下げて和解するよう決断を迫られました。それでも私は、大津市長の強要には応じませんでした。なぜなら大津市の職員課には、私にとって有利な証拠がたくさんあることを知っていましたので、法廷で真実を明らかにしたいという思いでした。

 私を被告とする刑事裁判になり、私に起訴状が届く前に、大津市は、大津市長の指示で記者会見を開き、大津市長は起訴状を記者の皆さんに公表すると約束しました。その後、職員課から私に起訴状を提出してほしいと再三にわたり、督促の電話がありました。大津市長は「職務命令だからどうしても起訴状を出せ」と言ってきかないそうで、職員課から頼むから出してくれと何度も連絡を受けました。

 裁判になるまでは、職員課など大津市は、Aの不都合な真実を明らかにしてくれと応援していただいていましたが、広報や議会などでの市長のコメントは、私を有罪と決めつけた発言ばかりでした。刑事裁判の証拠とすべく、弁護士法に基づく弁護士会照会をしていただいたのですが、大津市からたくさんある証拠文書を一切出せなくなったと電話で連絡を受けました。「大津市長が絶対出さないと言っているので、出すことができ
なくなった」と。

 私は、大津市にたくさんの証拠文書があるからこそ、刑事裁判になって無罪になると和解しなかったのに、それが証拠提出できないとなって、本当に目の前が真っ暗というか、愕然という気持ちでした。真実を明らかにするために必要なのに、なぜその証拠を出さないのかとても私には、理解できるものではありませんでした。市長の言うことを聞かないと、ここまでされるのかと背筋が寒くなりました。

 大津市長は、裁判に職員課の文書を証拠としてだせば、女性が裁判で不利になると言ていると聞きました。あまりに一方的で、偏見にみちていると思いました。真実を明らかにするのが重要なのに、はじめから一方の職員のみに、異常に肩入れするということが、ただただ不可解でした。大津市長によって有罪にさせられると思うと、本当に恐怖でいっぱいでした。

 公文書公開請求をすると、すでに大津市が他の請求者に公開されている文書なのに、私の請求では、非公開とされました。保有個人情報開示請求は、本人の個人情報であるので、大津市は絶対拒否できないと大津市職員から進言されましたが、結果は全面不開示でした。私自身の個人情報がなぜ全面不開示なのか、なぜこんなことがまかり通るのかという思いでした。

 当然異議申立てしましたが、大津市個人情報保護条例では、異議申立てがあれば速やかに審査会に諮問することになっていますが、約6か月の間、審査会にかけられることなく不当に放置されました。無罪判決が確定してから、人事課から異議申立ての件はどうしますかと連絡がありましたので、大津市は裁判が終わるのを待っていたんだなと思いました。大津市長の公文書隠ぺいの意思が本当にかたくななのがわかりました。

 裁判が長期間にわたったのは、大津市がどのような手段に対してもたくさんある証拠を一切ださなかったからです。刑事裁判が長引くことで有罪になるという恐怖、大津市職員でいられなくなるという恐怖、有罪になれば実名が報道されるという恐怖、そうなった場合に家族がどうなってしまうかという恐怖、先の見えない恐怖が、時間とともに、日に日にどんどん増していく心境でした。

 刑事裁判の判決をみると、大津市が、一部でしたが最後に出した証拠は、やはり決定的な証拠になりました。一部だけでも決定的な証拠になったのですから、はじめから出してくれていたら、ここまで苦しまなくてすんだのにという思いでした。

 刑事事件の判決時に、裁判長が「この日の青空のように晴れやかな気持ちで、ご家族」や同僚に報告してください」と言ってくださったのをよく覚えています。

 休職の辞令をもらうときは、深夜に市長、副市長以下多くの幹部職員が出席し、マスコミを別室で待機させてまま、ものものしいかんじで市長から辞令を受けました。復職のときは、市長からの辞令交付どころか、人事課から私服でいいから辞令を取りにきてくださいと連絡を受けただけでした。

 あまりにも違う対応に、私の復職が歓迎されていないことがよくわかりました。大津市長は、あれだけ私の有罪を前提としてマスコミなどに公表していましたから、私が有罪にならなくて大変都合が悪かったのだと思います。

 復職の辞令をもらった後、人事課長から、別室に連れて行かれて、大津市長はあなたがたとえ無罪になっても処分すると言っていると伝えられました。正直、もうむちゃくちゃだと思いました。

 大津市長に一度逆らうと、無罪判決をいただいても、まだ犯罪者扱いされるのかと愕然としました。私が職員でいられなくなるように、延々といじめが続くのかと思いました。無罪判決のときの裁判長からの言葉に安堵したのは一瞬でした。

 その後、公文書非公開決定処分取消訴訟を提起しましたが、これは刑事裁判での大津市長の対応があまりにも理不尽で、故意によるものでしたから、大津市長の不当な行為を少しでも明らかにしたかったという気持ちでした。

 市長から私は、侮辱され続けてきましたが、一寸の虫にもという気持ちでした。泣き寝入りできないという気持ちでした。文書が存在しているのに存在しないと言う、当時警察OBで不当要求対策をされていた職員の陳述書でも前代未聞の不祥事と断言されているのに、不祥事でないと言う、文書を廃棄などできるはずがないのに廃棄したと言う、すべてが虚構のストーリーです。

 こんな見え透いたストーリーを誰が考えたのでしょうか。私は、実際に文書が存在するのを知っていますし、作成した側から説明を受けたものも見たものもあります。不当要求については、当時あれほどの騒ぎになり、多くの目撃者がいます。すべて私の実体験に基づいています。

 最高裁の結果が出たとき、ほっとしたと同時に、最高裁決定までいただけば、さすがに、大津市長もこれで適正な対応をしてくださると思いました。大津市は、最高裁に上告までして、非公開をとおそうとしたのに、最高裁判決で非公開決定が取り消されて、大津市が公開した文書は、すでに公開済の文書だけで、本当に不自然でした。最高裁決定までいただければ、さすがの大津市長も適正な対応をすると思っていましたのに、本当にどこまで私を侮辱するのかというか、どこまで軽く見られているのかと思いました。

 足掛け7年になりますが、大津市長の対応は、一貫して不当で、理不尽なものでした。あるものをない、すでに公開したものを公開しない、公文書を改ざんする、不祥事をかくす、調査もしない、最高裁にも従わない、権力というのは、本当におそろしいと思いました。もう司法以外に、公平に見てくださるところはないという思いです。

 真実はひとつです。

あるものをないことにはできませんし、起こったことをなかったことにはできません。大津市が今まで私にどんなことをしてきたか、まず真実に向き合ってほしいと思います。大津市は、文書が存在するというなら証拠を出せと威嚇しておいて、その求めに応じて証拠を出したら、今度は誰から手に入れたのかと威嚇します。証拠を突きつけられたら、今度は存在したが廃棄したと主張をころころ変える。 あまりにもむちゃくちゃで、ただただ、やるせない思いです。実態と大きくかけ離れたストーリーです。

 平成30年12月に大津市の不当要求隠ぺいのスクープ記事が出た際に大津市は記者会見を開きましたが、大津市は、はじめから、私を犯人扱いし、虚偽の記者会見をするつもりだったことがよくわかります。想定問答を見ると、記者会見の準備段階から意図的に私を貶めようと計画していました。本当に腹立たしいかぎりです。

 刑事事件の判決文では、私の供述は一貫していますが、Aの供述に数々の重大な疑問があり、その信用性は低いと断じて犯罪の証明がないと無罪判決となったものです。大津市は、その根幹をひた隠しにて、実際にセクハラ事件があったようなウソの説明を記者会見の場で意図的に行いました。

 最高裁決定後の大津市の決定について、審査請求し、審査された情報公開・個人情報保護審査会は、その答申で「大津市がはじめは存在しないと言っておきながら、証拠が突きつけられるやいなや、実は存在していたが廃棄したと言い分を変えたこと」や、「重要な証拠文書であり、1年で廃棄できるような文書ではない」ことなど、大津市の姿勢を厳しく批判しました。審査会がここまで答申で行政を批判するのは大変珍しいと聞いています。それだけ大津市の対応はひどかったのだと思います。

 刑事裁判の期間が長期に及んだのは、大津市が存在する文書の公開を拒否し続けたからです。もっと早く、弁護士会照会、公文書公開請求の段階で、公開されていれば、もっと早くに職場復帰がかない、経済的損害が少しでも救われたのにと思います。私が、大津市長から度重なる強要を受けても従わず、真実を明らかにしたいと刑事裁判に及んだのは、大津市に決定的な証拠がいくつもあったからです。

 まさかそれらの証拠が、全面的に非公開とされて、しかも、ないことにされて、裁判を闘うことになるとは、本当に夢にも思いませんでした。私の無実を証明する文書が一切公開してもらえず、有罪にさせられる、大津市職員をクビになるという恐怖が、長期にわたりました。刑事裁判で無罪判決をいただいても、大津市長から犯罪者扱いされ、無罪になっても処分すると言われ、いまだに記者会見という公の場でも犯罪者扱いされています。

 今日まで、長年にわたり、大津市長から犯罪者扱いされ、また意図的な公文書や不祥事の隠ぺいなど理不尽な対応により、大津市から長期間大変な苦痛を味わってまいりました。大津市の度重なる不法行為によって、私も家族も追い詰められ、経済的にも精神的にも大きな損害を被りました。
 どうぞ正義にかなった適切な判決を賜りますよう、よろしくお願いいたします。


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 大津市市議会議員

 細川としゆき オフィシャルサイト
細川としゆき

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2019.12.25

大津通信に愕然

大津通信に愕然と

知人に、議員として是非見ておくようにと助言されたのが、大津通信。詳細は是非とも検索をしていただき、見て欲しいのですが、公文書破棄問題で大津市長が訴えられ、現在裁判抗争中の内容が詳細に書かれている。議員になって、最近になって読み始めましたが、その内容に驚いています。

でも、事件の内容や裁判の抗争内容以上に、もっと驚いていることは、事件当時、多くの職員が事件そのものの顛末やその後の対応、書類作成などについて、また、指示され動いたことについて、何も語らないんだと言うことに驚いています。

一人の職員が困っていて、追い込まれているのに、誰も真実を語らないというのは驚きです。

12月22日の大津通信より転載しました。長いですが一読を。

110)裁判報告⑨~原告証言~

<お断り>

 原告は他の証人よりずっと長い尋問時間の中で詳細、克明な証言を行ったので、寡黙
な元人事課長のように一問一答形式で再現すると嵩張ってしまいます。そこで、ここで
は証言要旨のみ取り出して掲載しますが、修正などは一切行っていません。ご自身の眼
で確かめたいと仰る方は、1月10日から大津地裁で公開される証言内容をあわせてご覧く
ださい。なお、以下の文章で「私」とあるのはもちろん原告をさします。

<原告の証言概要>

 平成25年3月22日、現職の大津市職員親子が右翼団体構成員らと勤務時間中に、
当時の私の職場にいきなりきて、右翼団体連合体幹部の名刺を差し出し、「俺は右翼の
〇〇や!」と大声で騒ぎたてました。私は、胸ぐらをつかまれ、「この場で辞表を書
け!」、「お前が辞めるというまで、毎日くる!」などと大声で恫喝され、フロアは騒
然とした状況でした。


 この前に、大津市職員親子と右翼団体構成員らは、秘書課で「市長を出せ!」などと騒いだ後、職員課(現在の人事課)に不当要求をしました。職員課から、このときの記

録はすべて録音してあるし、テープ起こしもしてあると言われていました。怪文書を含めて、私は、これまで大津市が存在しないとして一切公開に応じなかった文書を直接見ていましたし、存在することを知っていました。説明も受けていました。

 私が、不当要求を受けた際に、右翼からは「今度は自宅に行ってやる」、「今度は街宣車をまわしたる」などと脅かされ、身の危険、家族の危険を強く感じ、大津市の顧問弁護士(当時)のすすめもあって、Aからのいやがらせに歯止めをかけたい一心で、Aからの強制わいせつ罪の告訴に対して、Aを虚偽告訴罪で告訴しました。

 ところが大津市長は、検事と深く通じて、副市長を介し、何度も繰り返し私に「命令として」虚偽告訴罪を取り下げるよう指示してきました。大津市の名前が不名誉な形でプレスに出ては困る、正義より安全が優先だ、市長はそう言われていると聞きました。あまりにも一方的な圧力で、強要を受けていると感じていました。

 大津市長からは、「裁判になれば有罪率99.9%だから、有罪になる。」、検察官からは、「裁判になればあなたは仕事を失うことをわかっているのか。」と何度も脅し のように言われて、取り下げて和解するよう決断を迫られました。それでも私は、大津市長の強要には応じませんでした。なぜなら大津市の職員課には、私にとって有利な証拠がたくさんあることを知っていましたので、法廷で真実を明らかにしたいという思いでした。

 私を被告とする刑事裁判になり、私に起訴状が届く前に、大津市は、大津市長の指示で記者会見を開き、大津市長は起訴状を記者の皆さんに公表すると約束しました。その後、職員課から私に起訴状を提出してほしいと再三にわたり、督促の電話がありました。大津市長は「職務命令だからどうしても起訴状を出せ」と言ってきかないそうで、職員課から頼むから出してくれと何度も連絡を受けました。

 裁判になるまでは、職員課など大津市は、Aの不都合な真実を明らかにしてくれと応援していただいていましたが、広報や議会などでの市長のコメントは、私を有罪と決めつけた発言ばかりでした。刑事裁判の証拠とすべく、弁護士法に基づく弁護士会照会をしていただいたのですが、大津市からたくさんある証拠文書を一切出せなくなったと電話で連絡を受けました。「大津市長が絶対出さないと言っているので、出すことができ
なくなった」と。

 私は、大津市にたくさんの証拠文書があるからこそ、刑事裁判になって無罪になると和解しなかったのに、それが証拠提出できないとなって、本当に目の前が真っ暗というか、愕然という気持ちでした。真実を明らかにするために必要なのに、なぜその証拠を出さないのかとても私には、理解できるものではありませんでした。市長の言うことを聞かないと、ここまでされるのかと背筋が寒くなりました。

 大津市長は、裁判に職員課の文書を証拠としてだせば、女性が裁判で不利になると言ていると聞きました。あまりに一方的で、偏見にみちていると思いました。真実を明らかにするのが重要なのに、はじめから一方の職員のみに、異常に肩入れするということが、ただただ不可解でした。大津市長によって有罪にさせられると思うと、本当に恐怖でいっぱいでした。

 公文書公開請求をすると、すでに大津市が他の請求者に公開されている文書なのに、私の請求では、非公開とされました。保有個人情報開示請求は、本人の個人情報であるので、大津市は絶対拒否できないと大津市職員から進言されましたが、結果は全面不開示でした。私自身の個人情報がなぜ全面不開示なのか、なぜこんなことがまかり通るのかという思いでした。

 当然異議申立てしましたが、大津市個人情報保護条例では、異議申立てがあれば速やかに審査会に諮問することになっていますが、約6か月の間、審査会にかけられることなく不当に放置されました。無罪判決が確定してから、人事課から異議申立ての件はどうしますかと連絡がありましたので、大津市は裁判が終わるのを待っていたんだなと思いました。大津市長の公文書隠ぺいの意思が本当にかたくななのがわかりました。

 裁判が長期間にわたったのは、大津市がどのような手段に対してもたくさんある証拠を一切ださなかったからです。刑事裁判が長引くことで有罪になるという恐怖、大津市職員でいられなくなるという恐怖、有罪になれば実名が報道されるという恐怖、そうなった場合に家族がどうなってしまうかという恐怖、先の見えない恐怖が、時間とともに、日に日にどんどん増していく心境でした。

 刑事裁判の判決をみると、大津市が、一部でしたが最後に出した証拠は、やはり決定的な証拠になりました。一部だけでも決定的な証拠になったのですから、はじめから出してくれていたら、ここまで苦しまなくてすんだのにという思いでした。

 刑事事件の判決時に、裁判長が「この日の青空のように晴れやかな気持ちで、ご家族」や同僚に報告してください」と言ってくださったのをよく覚えています。

 休職の辞令をもらうときは、深夜に市長、副市長以下多くの幹部職員が出席し、マスコミを別室で待機させてまま、ものものしいかんじで市長から辞令を受けました。復職のときは、市長からの辞令交付どころか、人事課から私服でいいから辞令を取りにきてくださいと連絡を受けただけでした。

 あまりにも違う対応に、私の復職が歓迎されていないことがよくわかりました。大津市長は、あれだけ私の有罪を前提としてマスコミなどに公表していましたから、私が有罪にならなくて大変都合が悪かったのだと思います。

 復職の辞令をもらった後、人事課長から、別室に連れて行かれて、大津市長はあなたがたとえ無罪になっても処分すると言っていると伝えられました。正直、もうむちゃくちゃだと思いました。

 大津市長に一度逆らうと、無罪判決をいただいても、まだ犯罪者扱いされるのかと愕然としました。私が職員でいられなくなるように、延々といじめが続くのかと思いました。無罪判決のときの裁判長からの言葉に安堵したのは一瞬でした。

 その後、公文書非公開決定処分取消訴訟を提起しましたが、これは刑事裁判での大津市長の対応があまりにも理不尽で、故意によるものでしたから、大津市長の不当な行為を少しでも明らかにしたかったという気持ちでした。

 市長から私は、侮辱され続けてきましたが、一寸の虫にもという気持ちでした。泣き寝入りできないという気持ちでした。文書が存在しているのに存在しないと言う、当時警察OBで不当要求対策をされていた職員の陳述書でも前代未聞の不祥事と断言されているのに、不祥事でないと言う、文書を廃棄などできるはずがないのに廃棄したと言う、すべてが虚構のストーリーです。

 こんな見え透いたストーリーを誰が考えたのでしょうか。私は、実際に文書が存在するのを知っていますし、作成した側から説明を受けたものも見たものもあります。不当要求については、当時あれほどの騒ぎになり、多くの目撃者がいます。すべて私の実体験に基づいています。

 最高裁の結果が出たとき、ほっとしたと同時に、最高裁決定までいただけば、さすがに、大津市長もこれで適正な対応をしてくださると思いました。大津市は、最高裁に上告までして、非公開をとおそうとしたのに、最高裁判決で非公開決定が取り消されて、大津市が公開した文書は、すでに公開済の文書だけで、本当に不自然でした。最高裁決定までいただければ、さすがの大津市長も適正な対応をすると思っていましたのに、本当にどこまで私を侮辱するのかというか、どこまで軽く見られているのかと思いました。

 足掛け7年になりますが、大津市長の対応は、一貫して不当で、理不尽なものでした。あるものをない、すでに公開したものを公開しない、公文書を改ざんする、不祥事をかくす、調査もしない、最高裁にも従わない、権力というのは、本当におそろしいと思いました。もう司法以外に、公平に見てくださるところはないという思いです。

 真実はひとつです。

あるものをないことにはできませんし、起こったことをなかったことにはできません。大津市が今まで私にどんなことをしてきたか、まず真実に向き合ってほしいと思います。大津市は、文書が存在するというなら証拠を出せと威嚇しておいて、その求めに応じて証拠を出したら、今度は誰から手に入れたのかと威嚇します。証拠を突きつけられたら、今度は存在したが廃棄したと主張をころころ変える。 あまりにもむちゃくちゃで、ただただ、やるせない思いです。実態と大きくかけ離れたストーリーです。

 平成30年12月に大津市の不当要求隠ぺいのスクープ記事が出た際に大津市は記者会見を開きましたが、大津市は、はじめから、私を犯人扱いし、虚偽の記者会見をするつもりだったことがよくわかります。想定問答を見ると、記者会見の準備段階から意図的に私を貶めようと計画していました。本当に腹立たしいかぎりです。

 刑事事件の判決文では、私の供述は一貫していますが、Aの供述に数々の重大な疑問があり、その信用性は低いと断じて犯罪の証明がないと無罪判決となったものです。大津市は、その根幹をひた隠しにて、実際にセクハラ事件があったようなウソの説明を記者会見の場で意図的に行いました。

 最高裁決定後の大津市の決定について、審査請求し、審査された情報公開・個人情報保護審査会は、その答申で「大津市がはじめは存在しないと言っておきながら、証拠が突きつけられるやいなや、実は存在していたが廃棄したと言い分を変えたこと」や、「重要な証拠文書であり、1年で廃棄できるような文書ではない」ことなど、大津市の姿勢を厳しく批判しました。審査会がここまで答申で行政を批判するのは大変珍しいと聞いています。それだけ大津市の対応はひどかったのだと思います。

 刑事裁判の期間が長期に及んだのは、大津市が存在する文書の公開を拒否し続けたからです。もっと早く、弁護士会照会、公文書公開請求の段階で、公開されていれば、もっと早くに職場復帰がかない、経済的損害が少しでも救われたのにと思います。私が、大津市長から度重なる強要を受けても従わず、真実を明らかにしたいと刑事裁判に及んだのは、大津市に決定的な証拠がいくつもあったからです。

 まさかそれらの証拠が、全面的に非公開とされて、しかも、ないことにされて、裁判を闘うことになるとは、本当に夢にも思いませんでした。私の無実を証明する文書が一切公開してもらえず、有罪にさせられる、大津市職員をクビになるという恐怖が、長期にわたりました。刑事裁判で無罪判決をいただいても、大津市長から犯罪者扱いされ、無罪になっても処分すると言われ、いまだに記者会見という公の場でも犯罪者扱いされています。

 今日まで、長年にわたり、大津市長から犯罪者扱いされ、また意図的な公文書や不祥事の隠ぺいなど理不尽な対応により、大津市から長期間大変な苦痛を味わってまいりました。大津市の度重なる不法行為によって、私も家族も追い詰められ、経済的にも精神的にも大きな損害を被りました。
 どうぞ正義にかなった適切な判決を賜りますよう、よろしくお願いいたします。




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